彼女のトライアル
プリーツ プリーズのある日常
第1回 バック・トゥ・キョウト

大橋主我はキャリアをスタートしたばかりの俳優だ。
米国コネチカット州の大学でミュージカル、映画、演劇を学んだ後、ニューヨークで1年間活動し、2024年の秋に日本に戻ってきた。

彼女が俳優の道をこころざしたのは、15歳のとき。
「14歳のわたしに、一生の仕事を何にするのか、そろそろ決めた方がいいと父は言いました。でも、なかなか決められなくて。エンターテインメントやカルチャーの中心のニューヨークに行っていろいろなものごとに接したら、やりたいことの選択肢を絞れるのではないかと考えて、両親にプレゼンテーションしました。ニューヨークに行かせてくださいって」
それが叶い、15歳の冬休みにひとりでニューヨークを旅した。
「美術館やいろいろなところに行きましたが、ブロードウェイでミュージカルを観て、これだなと。一番感動した作品は『ファインディング・ネバー・ランド』、“ピーター・パン”をつくった作家の物語です。ローラ・ミシェル・ケリーさんの演技がとても心に響いて、これをやってみたいと思ったのです」

彼女はいま、これから何年か日本で活動しようと考えている。東京でキャスティング会社の仕事や音楽プロデューサーのパーソナルアシスタントをしながら、オーディションを受ける毎日だ。
3月、彼女は生まれ育った京都にいた。
桜の開花には間に合わなかったが、鴨川沿いの柳の萌黄色が鮮やかで、行き交う人びとの表情は新しい季節への期待で明るい。
久しぶりに京都で過ごす時間を使い、自分自身に影響をあたえた場所、思い出のある場所を訪ねてみた。
3歳から18歳まで通っていたバレエ教室では、恩師と再会した。週2回クラシックバレエを学んだ時間は、ジャズダンスを扱う時間が多い現在の彼女にとって、創作の種になっていることを確認した。
6歳のときに1年間、こども農業体験に通った大原の農園。
よく読書するために出かけた鴨川デルタ。
友だちとおしゃべりし、散歩した四条大橋。
そして京都には、母が暮らしている。
「母は昔から、プリーツ プリーズをよく着ていて、お下がりをもらったのが私の初プリーツ プリーズ体験です。私が10代のときですね。母と一緒に旅行するときには共有して着ていました」
鴨川のほとりから、大文字山を眺める。
子どもの頃、五山の送り火を母とふたり、自転車で追いかけた。
高校時代には毎月のようにこの山を登った。

「わたしは街なかよりも、川や山や自然のある大原に行くと、この街と自分とのつながりを感じます。以前はここに自分の居場所はないと思っていました。18年間住んでいたのに。でも今回訪れてみて、自分を形成した場所なのだな、わたしの居場所のひとつなのだと思いました」
彼女は今年、ひとつの目標をたてた。それは短編映画をつくること。
俳優はどちらかというと受け身の職業だが、主体となって何かを作り上げてみたい、それによって自分がどう変わるかを知りたいと言う。
このフォトストーリーで、彼女の創作の過程の一端を追っていく。
着るひと:大橋主我
(スタイリングも本人による。アクセサリー、バッグなどの小物はすべて私物)
撮影:原田教正
ヘア&メイクアップ:新城輝昌(資生堂)
構成:原田環+中山真理|カワイイファクトリー
コンセプト&ディレクション:北村みどり