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彼女のトライアル

プリーツ プリーズのある日常


第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

大橋主我は1年ぶりにニューヨークにいた。

日本に帰国してからも、アパートの部屋に荷物を置いたままにしていた。ところがルームメイトたちが引っ越すことになり、ついに部屋を引き払わざるを得なくなったのだ。

彼女が住んでいたアパートはハミルトン・ハイツ地区にある。
近隣にはコロンビア大学やシティカレッジがあり、学生や研究者、アーティストが多く暮らしている。演劇や音楽関係者も多い。ルームメイトたちも演劇関係者だ。
大橋はこの部屋を拠点にオーディションを受け、舞台の仕事をし、充実した時間を過ごした。

およそ2週間の滞在中、彼女は部屋の片付けに明け暮れた。家具を処分し、持ち帰る本や服を選び、掃除をし、夜は外出して友人たちとの会話を楽しんだ。

誰と話しても、クラシックとカオスが美しく同居するニューヨークの文化シーンが変わりつつあることは明らかだった。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

15歳のときに初めて訪れてから、ニューヨークはずっと、彼女が住みたい街だった。
それはいまでも変わらない。

しかし、ビザの問題などの現実を考えて、ほとんどつてのない日本で活動することを選んだのだ。その選択をまったく後悔していないけれど……。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

大きなスーツケース2個に持ち帰るものを詰め、部屋を空っぽにしてから、大橋はコネチカット州の母校を訪ねてみることにした。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

ハートフォード大学の舞台芸術学部、ハートスクール。
整備された芝生が広がる広大な敷地のなかに、音楽部門と演劇・ダンスの校舎が点在している。

最新設備を備えた劇場でのプログラムは一般に公開され、オーディションに合格しないと出演できないが、彼女は在学中に5回、この舞台に立った。

「運が良かったのか、私はストレートプレイとミュージカルの両方に出演することができました。メインステージでの公演はとても勉強になりました。ものすごく忙しくて大変でしたけど」

母校への訪問には、2023年にニューヨークで購入したプリーツ プリーズの青いドレスに、BASICSのグレーと黒の羽おりを重ねている。

「このプリーツ プリーズのワンピースはありとあらゆるところに着て出かけているお気に入りです。重ね着をすることで印象ががらりと変わるのが面白いです」

長くアルバイトをしていた舞台衣装アーカイブは、全米でも有数の規模と質を誇る。担当スタッフや恩師たちとキャンパスで会い、会話し、大橋はここで過ごした4年間が自分にもたらしてくれたものの大きさをあらためて実感した。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

恩師のフィリップ・リトナーと再会した時も同様だった。

彼は14歳でクラシック・ピアニストとしてキャリアをスタート、ハートスクールではミュージカル唱法を教えている。ハートフォード市内に残る19世紀末の歴史的邸宅を購入し、現在はセルフリノベーションに熱中している。

1975年のドキュメンタリー映画「グレイ・ガーデンズ」を彷彿とさせるいわくつきの家だが、彼は完成まであと14年かかるだろうと言いながら、楽しげに邸内を案内してくれた。

「フィル先生は私と性格や考え方が似ていて、社交辞令も遠慮もいらない関係です。いろいろあるだろうけど、あなたの人生はそんなに悪くないじゃないと言ってくれました」

大橋が着ているブラウンのトップは、ニューヨークの部屋に置いていた、母からのお下がりのプリーツ プリーズだ。

「2、3年前にもらったときは、落ち着いた印象で私には似合わないと思っていました。でもあらためて袖を通してみると、今の自分に合うように感じました。登場人物が茶色のトップを着ていた『グレイ・ガーデンズ』のワンシーンを思い出しました」

ニューヨーク滞在最終日。

スーツケースをピックアップしにアパートに向かった。
夜、ルームメイトたちが自然と集まって、ワイングラスを片手にその日の出来事を語りあったリビングルームには、何もない。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

「この家は終わりなんだなと思いました。寂しいですが、そういうこともあります」

この後、友人に預けていたヴァイオリンをピックアップして帰国の途につく。
彼女のニューヨーク生活はここで本当にいったん終わる。

けれど、終わりがあるから始まりがあるのだし、何年かたってまたこの街に「ハロー」と言う可能性はおおいにあるだろう。

ところで短編映画の進捗は?

「脚本づくりに苦労しています。主人公と自分の状況が重なりすぎていて、ストーリーづくりに必要な客観的な視点を保つのが難しいのですが、少しずつ脚本作りを進めています。でも、やり遂げたい。最初の台詞はこんな感じで考えています。主人公が乗り込んだタクシーの運転手が言うんです。

どこまで行きますか?」

きっと彼女はどこにでも行ける。もちろん、プリーツ プリーズを着て。

第4回 ハロー&グッバイ、ニューヨーク

着るひと:大橋主我
(スタイリングも本人による。アクセサリー、バッグなどの小物はすべて私物)
撮影:原田教正
ヘア&メイクアップ:新城輝昌(資生堂)
構成:原田環+中山真理|カワイイファクトリー
コンセプト&ディレクション:北村みどり
制作:ISSEY MIYAKE INC.