エレーヌの日日
プリーツ プリーズのある日常
最終回 パリの友人たち

彼女はエレーヌ・ケルマシュテール。
10月、いくつかの予定をこなすためにパリにいたエレーヌは、忙しいスケジュールの合間をぬって、久しぶりに友だちに会う時間をつくった。
5人のアーティストが、快くスタジオや家に招いてくれた。それぞれが異なる分野で活躍するクリエイティブな友人たちだ。彼らの新作を観て今後のプロジェクトについて話をきく、またとない機会となった。

Hélène and The Price of Freedom, 2015, patinated bronze.
1日目。
パリ近郊、モントルイユ。エレーヌが訪れたのは、ふたりのアーティスト、ジャン=ミシェル・オトニエルとヨハン・クレテンがシェアするスタジオ「ラ・ソルファターラ」。
“火山ガスを噴出している噴気孔”という名前のとおり、空間のスケールは圧倒的だ。葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》にインスパイアされたオトニエルの彫刻、ガラス煉瓦による《大波(The Big Wave)》のような巨大な作品を設置できるのだ。
ジャン=ミシェル・オトニエルは今日のフランスを代表するアーティストのひとり。豊かな色彩のガラスの球体をつらね、空間に複雑な唐草文様を描く彫刻シリーズで知られる。光を反射しながら、作品中に鑑賞者や周囲の風景が映りこみ、観る者を思索の旅へ誘う。
ヨハン・クレテンは現代美術に陶芸を取り入れた先駆者として知られている。セラミックやブロンズによる彼の彫刻はスケールが大きい。動物や奇妙な昆虫、繊細な花に覆われた胴体などがおもなモティーフで、神話的で寓話的な世界を感じさせる。神秘的でありながら、どこか親しみやすさもある。
ふたりの作品はまったく異なるが、互いに呼応しあって詩的な次元を共有している。まるでこの広大な空間と戯れるように。このスタジオは創作の場であり、ふたりの作品を展示するスペースであり、世界各国からコレクターやキュレーターを迎える場所でもある。さらにアーティスト・レジデンシーでもある、希有な場所だ。
折しも「アート・バーゼル パリ2024」が開催中で多忙ななか、ヨハンはスタジオの入口にある小さなカフェスペースでコーヒーやお茶を勧め、ジャン=ミシェルは自身の作品であるガラスの花器にダリアやカラーを活け、細やかな心遣いでエレーヌをもてなした。
「私がジャン=ミシェルとヨハンに出会ったのは20年以上前のこと」とエレーヌ。
「ジャン=ミシェルとは、パリのカルティエ現代美術財団やブエノスアイレスでの個展のキュレーターとして、さまざまな機会に一緒に仕事をしてきました。彼の作品は本当に刺激的で、作品についての文章を書くことにいつも喜びを感じています。
彼は日本でも何度か展覧会を開催しているし、作品のいくつかは軽井沢、群馬県、東京など各地で常設展示されています。《大波》は彼の記念碑的な作品ですが、日本文化と密接につながるこの作品を日本で観ることができたら、さらには常設されることになれば、素晴らしいと思います」
「今のところ、ヨハンと仕事をした機会はないのですが、数年前にローマで彼の個展を見て以来、私の夢のひとつです。ふたり一緒の展覧会をキュレーションできたらどんなに素晴らしいか!」
2日目。
エレーヌはパリ市内の閑静な住宅街にあるネリー・ソニエのアトリエにいた。
天井高は5m以上。大きな窓からふんだんに光が入る、パリの伝統的なアーティストのアトリエだ。白い空間には白い作業台や棚、流木や世界各地の旅先で集めた石などが並べられているが、もっとも目をひくのは色とりどりの羽根だ。羽根は素材であり、作品でもある。
ネリーは羽根細工作家。14歳でこの道に進むことを決め、2008年にフランスにおける工芸の称号として最も権威がある「メートル・ダール」(人間国宝)に選ばれ、第一人者として高く評価されている。
羽根細工はフランスで13世紀以来の伝統がある。1920年代をピークに生産規模は縮小したものの、今日では希少価値の高い芸術として再評価されている。
ネリーは羽根の可塑性や構造、一枚一枚の特徴を知り尽くしている。彼女がつくり上げる作品は、どれも精巧、繊細かつ詩的な輝きに満ち、この素材の尽きない可能性を感じさせる。
オートクチュールや映画界の衣装製作者、あるいは一流の宝飾店からの依頼をうけて、ネリーは息を呑むほど繊細な作品をこのアトリエでつくりあげる。同時に、彼女の個人作品は「再現された自然を創造する」という世界観をより明確に表現している。
久しぶりに会ったふたりの会話は、いつまでも尽きず熱をおびていく。
「2017年、東京国立博物館での『フランス人間国宝展』を企画していた時にネリーと出会いました。
すぐに彼女の才能に感動し、魅了されて、ほかの14人の匠たちとともにプロジェクトに招待しました。現代美術の分野で仕事をしてきた私にとって、工芸の豊かさと創造性を初めて探究することができたのは素晴らしい経験でした。この展覧会は美の旅であり、芸術的であると同時に人間的な体験でもあったのです。
ネリーの作品や、自然を再現して再発明する独自の技術を、多くの人たちにもっと知ってもらう機会があることを願っています」
3日目。
エレーヌはパリ南東の静かな通りにある赤いドアのベルを押した。娘のセレーナも一緒だ。セレーナは素晴らしい家で大切なふたりの友人に久しぶりに会えることに興奮している。
ふたりを迎えたのは、植物学者のパトリック・ブランと音楽家のパスカル・ヘニ。
パトリックはフランスCNRS(国立科学研究所)の熱帯雨林植物研究者として数多くの新種を発見した。しかし何よりも、様々な植物で覆われた植物の壁、「バーティカル・ガーデン」の発明者として著名だ。世界中で300件以上のプロジェクトを手がけてきた彼は、現在も各地で進行中のプロジェクトのかたわら、東南アジアやアフリカ、南米のジャングルでフィールドワークを続けている。
日本でも、金沢21世紀美術館や新山口駅などで彼のバーティカル・ガーデンを見ることができる。
パスカルは歌手、ミュージシャン、作曲家。とくにインド映画との関わりは深く、インド映画の名曲を集めたアルバムをリリースし、全国ツアーやテレビ番組を手がけて「ボリウッドのパスカル」と呼ばれるインドのスーパースターである。また、パトリックの世界各地への遠征に同行し、フィールドワークの様子を撮影してドキュメンタリー映像に仕上げる多才な人物だ。

中庭を囲むように建てられた2階建ての大きな家は、驚きに満ちている。なんといっても圧巻なのは、パトリックの仕事場だ。
およそ160種の熱帯植物が茂る2層吹き抜けのバーティカル・ガーデンが床から天井まで壁2面に広がり、天井の近くでは鮮やかな色の鳥たちが飛び交っている。彼のデスクが置かれたガラス張りの床の下は、2000匹の魚が泳ぐ巨大な水槽なのだ。鳥のさえずりと足元の水の音が、音楽のように空間を満たしている。
世界中の植物図鑑や書籍が収められたライブラリー。あらゆる都市のガイドブックやスーベニール、古い映画や歌手のポスターもインテリアの一部だ。
旅の多いふたりにとって、人生への情熱と愛が溢れるこの家はまさにオアシスだろう。お気に入りのロゼワインを飲みながら、4人のお喋りが始まった。
「パトリックとパスカルに出会ったのは1998年。カルティエ現代美術財団が主催した『自然(Etre Nature)』展のときでした。パトリックはこのとき、カルティエ財団のジャン・ヌーヴェル建築のエントランス上部に、今も訪問者を迎えているバーティカル・ガーデンをつくったのです。
それから数ヶ月後、パスカルが「イッセイ ミヤケ メイキング・シングス」展でのノマディック・ナイトのなかで、ダンテの『神曲』にインスパイアされたコンサートを行ないました。それが私たちの友情の始まりです。
セレーナは子どものころから、ふたりの家に行くのが大好き。パトリックの緑の世界に魅了されているし、パスカルのボリウッド音楽が好きで、よく友だちにシェアしています」
パスカル・ヘニが仕事場のピアノで奏でたのは、1998年にパリのカルティエ現代美術財団で開催された「イッセイ ミヤケ メイキング・シングス」展のために作曲した楽曲だった。
エレーヌがほぼイッセイ ミヤケの服だけを着るようになったのは、この展覧会の後だった。彼女が最初に買ったプリーツ プリーズは、この展覧会に参加していたティム・ホーキンソンの「ゲスト・アーティスト・シリーズ」のドレスだ。26年たった今でも、彼女はときどきこの服を着て楽しんでいる。
「プリーツ プリーズを着た最初の印象を今でも覚えています。とても軽くて着心地がよく、動きに沿ってくる。完全な自由。自由は私の人生の大切な価値です」
短いパリ滞在中、エレーヌは毎日PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE BASICS と新しいカラーバリエーションのNEW COLORFUL BASICSを着て、5人のアーティストと楽しく過ごした。
エレーヌがアートの世界で仕事をすること、アーティストの近くで生きると決心したのは14歳のとき。
今日も、そして明日も、彼女は美を誰かと分かちあうためにエネルギーと情熱を注いでいくだろう。
もちろん、プリーツ プリーズを着て。
着るひと:エレーヌ・ケルマシュテール、セレーナ・ケルマシュテール
(スタイリングも本人による。アクセサリー、バッグなどの小物はすべて私物)
撮影:原田教正
ヘア&メイクアップ:不破裕幸
構成:原田環+中山真理|カワイイファクトリー
コンセプト&ディレクション:北村みどり